祈り

阪神大震災から10年と言ってますが、その前
その翌年の1月17日、自分を変えてしまった出来事がありました。
生まれて初めて、涙が枯れるまで泣きました…。


9年前の今日、僕の父は天に召しました。


色々な事情があり、自分がまだ小学生の頃に
父とあまり顔を合わせる事がなくなってしまいました。
当時の自分には理解できない事でしたが、今なら理解できると思います。
…正直なところ、あまり理解したくない事ですが。


その年の正月、大学に行くために徳島に引っ越してから、
それまで以上にあまり顔を合わせる事のなかった父と話す機会がありました。
大学のこと、一人暮らしのこと、その他諸々、
それはきっと普通の家庭では当たり前の事なのでしょう。
でも、自分にとってそれは、めったに経験した事のない事でした。
だから、気恥ずかしくて、生返事ぐらいしかできなくて。


しばらくして、ふと、父がこんな事を言いました。
「お前も来年20歳やな。来年一緒に飲みにでも行くか?」


そんな他愛もない事を話してた気がします。
でも、今思えば父は本当に楽しみにしてたに違いありません。


それから数日したある日、忘れもしない1月18日、
朝、すごく早い時間に電話がかかってきました。
電話の主は祖母でした。そして、信じられない事、信じたくない事を聞きました。


「昨日の夜やけど、お父さんが亡うなったと…。」


しばらくの間絶句…。そして何度も「嘘や」と問いただしたけど、
答えは何度聞いても一つ。「ほんまや。」


電話を切った後、気持ちを落ち着かせるためにテレビをつける。
テレビからはニュースが流れていた。トップニュースは「阪神大震災から1年。」
しかし、それからいくつかニュースを見ていると、こんなニュースが流れてきた。


「高知の山間いの村で乗用車が30mの崖から転落。5人死亡、1人重体。」


画面に映った死亡者の名前、その中の一つはまぎれもなく父の名前。


“信じたくない”。そのための逃げ道が閉ざされた。


あとは自分も気が動転していて覚えていない。
ただ何も考えられずに汽車に乗り、高知に帰った事だけは覚えている。


自分は必死で間近に見た“死”というショックと戦っていた。
「自分はこの家に一人残された男。だから泣いたらあかん。せめて人前では。」


お通夜まではなんとか耐えられた。
でも、みんなが寝た後、たまたま一人で起きた時に、
ふと、父のいる棺の前で、あの言葉を思い出した。


「お前も来年20歳やな。来年一緒に飲みにでも行くか?」


その言葉を思い出した途端、今まで必死で耐えていた涙が溢れてきた。
止めようと思うけど、止める以上に何かがこみ上げてきて、止まらない。


それからどれぐらい泣いただろう。
次の日の夜に寝るまで、ずっと泣き続けていた。
最後の方はもう涙すら出なくなった。涙が枯れるとはこういう事か。


「もうこれだけ泣いたんだから、あとは明るくいこう。
 カラ元気だっていい。これ以上他人に心配をかけられない。」


そうしていると、いつの間にか「アホみたいに明るい」キャラクターが出来上がっていた。
それが悪い事とは言わない、いやむしろいい事だと思うけど、
だんだん自分の苦しみを隠すためにこういう事をしていると、
時々一人でいると空しくなる。
まぁいいや。これ以上言うとグチになる。


あれから何度かこの日を迎えるが、いつも空は青く澄んでいるような気がする。
曇ったり雨になった日はあの日の一日だけ。
まだ気持ちの整理がつかない事もあるけど、ここで一区切りつけようと思う。


父さん、今でもあの空の上から見てくれていますか。